主治医のO先生が転勤になります。
15年くらいお世話になりました。
「これからどうしよう」と思うけれど、泣いても喚いても(そんなことはしませんが)何も変わりません。受け入れなくてはいけない現実です。
しかし、そうとわかっていても寂しいものです。
O先生には我がままをいっぱい言ってきました。対処療法が嫌になって2年近く病院に行かなかったことがあり、本気で怒られたこともあります。
そんなO先生との思い出を綴ります。
『やさしさ繋ぐ絵葉書』
「最近、絵葉書が届くんだよ」
「何かな?と思ってみると、君のことだったよ」
手術を待つ入院中、回診にきた主治医のO先生がにっこり笑いながら言いました。どうやら私が各地でお世話になった病院の先生からの絵葉書だそうです。
この入院の数週間前、夜中に激痛が走りました。
クローン病を発病してから痛みのない日はありません。なので、大抵の痛さは我慢できるようになっているはずなのに、この日の痛みは恐ろしさを感じる痛みでした。以前、腸閉塞を破裂させたときの痛みに似ていたのです。冷や汗が流れる中、危険だと思いつつ「今日は本番があるから休めない」と、痛みどめを飲みました。
何年も前から「手術をした方が良い」と言われていました。もう手術は免れない…痛みで朦朧とする中、そんなことを考えていました。
しばらくして激痛は我慢できるほどに治まりました。
腸閉塞を破裂させていたら治まることはありません。これならなんとかなるだろうと、性懲りもなく私は本番に行く準備を始めました。しかし、気になる痛さだったので本番前に予約外で診察を申込み、血液検査を済ませました。O先生から「何時になってもいいから病院に戻ってこい」と言われていたので、本番終了後に病院に行くと、炎症所見がかなり高く、よくこれで立っていられたものだと呆れられました。
その後の検査で腸管に孔があいていることがわかりました。
不幸中の幸いか、奇跡というか、過去の手術で癒着した腸管が、孔から漏れ出す膿を塞いでくれていました。それでもかなり危険な状態です。O先生は「この腸管が動いたら膿が全身にまわってしまう。すぐに入院して手術の準備に入ろう」と言われました。
しかし、私にはどうしても出なくてはいけないコンサートが数本ありました。病状から考えればコンサートどころではないことはわかっていました。それでも、あと5日あれば全てを終えて神戸に帰ってくることができるのです。そうすれば本番に穴をあけることもなく、信用も失うことなく、安心して入院して手術を受けることができるのです。
私は泣きながら「5日の猶予」をお願いしましたが、O先生は「僕は医師として、君をここから一歩も出すわけにはいかない」と言いました。外来の診察室で押し問答が始まりました。
今までに何度も味わってきた悔しさの再来です。
急に出演を取りやめれば多くの人に迷惑をかけることになります。
きっと「これだから病気の人はあてにならないんだ」と言われてしまいます。
無事に手術を終えても、退院後の私に「出番」はなくなってしまいます。
そんな私の不安を察したのは夫でした。
「先生、僕がずっと傍についていますから」
「あと5日、がんばらせてやってください」
この夫の言葉には、O先生も驚いたようです。
本来なら「我がままを言うんじゃない」と止めるべき家族が「無茶をさせてくれ」と言うのです。O先生は険しい顔をして診察室を出て行きました。
ハラハラドキドキ。
数十分は経ったと思います。
やっぱりあきらめなくてはいけないだろうか…
そう思いはじめた頃、O先生がたくさんの書類を抱えて診察室に戻ってきました。
「コンサートで立ち寄る町の病院で、必ず抗生剤の点滴を受けなさい」
「それでも何が起こるかわからない」
「おかしいと不安に感じたらすぐに連絡をしなさい」
そう言って5通の紹介状(写真)を夫に渡してくれました。
『やさしさ繋ぐ絵葉書2』につづく。
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