やさしさ繋ぐ絵葉書「2」

 

 

やさしさ繋ぐ絵葉書「1」の続きです。

 

  

 

 

腸管に孔があいているのに「コンサートに行かせてくれ」と我がままを通した私は、最後に譲歩してくれたO先生にこれ以上の心配と迷惑をかけないためにも、絶対に無事に帰らなくてはいけないと、自分自身に固く誓いました。

 

 

 

 

病院を出るときに「コンサートはどこに行くのか?」と先生に聞かせれても、うやむやにごまかすことしかできませんでした。行先は大分と鹿児島をまわり、その後に車で埼玉へ向かうのです。こんなことを正直に伝えたら「前言撤回」と紹介状を取り上げられてしまいます。

 

 

 

 

その日の夕方、新神戸から大分へ向かう列車の中、半分ホッとして半分不安な、言葉では言い表せない気持ちでした。O先生の書いてくれた紹介状はお守りのようでした。「何かあれば病院に飛び込めばいいんだ」と思うことで安心を得ていました。神戸の病院で受けた抗生剤が効いているのか、痛みもそれほど感じません。

 

 

 

 

これなら大丈夫。

大分の病院で同じ点滴を受ければがんばれる。

 

 

そう思っているのに、到着した大分の小さな町の駅前には病院は見当たりません。夜も遅くなっているのであきらめるしかありませんでした。何かを食べて悪化してはいけないので、食事もせず、ほんの少しの水分を少しずつ摂るだけで翌日の本番を終えました。

本当に不思議なんですが、本番でアドレナリンが出るのでしょうか、コンサートが終わった直後は痛みもしんどさも感じず「治ったんじゃないか?」と思うくらいにエネルギーを感じます。この元気が残っている間に鹿児島へ移動です。列車で数時間揺られている間に、少しずつもとに戻っていきます。食事も摂っていないのでふわふわしています。

 

 

 

鹿児島の宿泊先近くに総合病院がありました。

紹介状を持って「点滴を受けたい」と伝えました。

その時に不安が過りました。

O先生が言っていたのです。

 

 

 

 

 

「行く先々でこの紹介状を見せて抗生剤の点滴を必ずしてもらいなさい」

「でも、してくれるかどうかわからないが…」

 

 

 

 

 

 

なぜ「してくれない」のかわからないけれど、お医者さんの世界にもいろいろあるのでしょう。しかし、抗生剤を点滴してもらわないとどうなるかわかりません。少し不安な時間が数分過ぎたころ、診察室に呼ばれました。先生は紹介状と私を交互に見ながら「同じメーカーの薬じゃないけれど、同じ効果の薬があるから、それを使いましょう」と言ってくれました。

 

 

 

 

処置室のベッドに横になると、力が抜けました。

看護師さんが優しく「大丈夫?」と聞いてくれます。

「神戸からきたの?」と話しながらリラックスさせてくれました。

 

 

 

そのあたりから鹿児島での出来事は何も覚えていません。本番を終えて新幹線で神戸へ帰り、車に乗り込んで埼玉を目指します。埼玉の北の方の町なので中央道を通って向かいます。勝彦さんが少しでもらくなように車の中を整えてくれます。人目を気にしない車中は気がらくでしたが、その分、体調の悪さが表に出てきました。長野を越えた頃でしょうか。意識が遠のきます。眠るのとはまた違う感覚です。

 

 

 

 

「死ぬかもしれない」

 

 

 

 

 

もうどこからも力が湧いてきません。私の様子がおかしいことを知り、勝彦さんは更にスピードを上げます。「もうすぐ着くから」と何度も言ってくれました。

 

 

 

埼玉でも宿泊先近くに大きな総合病院が見つかりました。紹介状を渡すと、すぐに血液検査にまわされました。座っているのもつらいと話すと処置室のベッドで休ませてくれました。生理食塩水を流し入れながら採血の結果を待ちます。

 

一時間ほどして先生が飛んできました。

 

 

 

「大丈夫ですか?」

「コンサートなんで無理ですよ」

「数日この病院で休んでから、神戸に戻ったらどうですか?」

 

 

 

かなり悪い結果だったのでしょう。

病院としてできることをいろいろ提案してくださいました。

優しい言葉は私の心に響きました。

それでも、コンサートを終えて神戸に帰って入院するという私に「何かあれば夜中でも来なさい」と言ってくださいました。

 

 

 

おかげさまで翌日のコンサートも無事に終えることができました。

そして、帰りの車に乗り込んだ時、すべての力が抜けました。

そして、そのまま神戸の病院へ入院しました。

道中のことは何も覚えていません。

 

 

病室にやってきたO先生は、ホっとした顔をされていました。

心配かけすぎましたね。

あんな無茶はもうしないと心に決めました。

 

 

 

 

 

この時のことで、ひとつ気づいたことがあります。

それは「日本中に病院があるのだから、何も心配することはない」ということ。そして、その病院にはO先生と同じように心配して診てくれる先生や看護師さんがいるということ。力強い味方が全国に大勢いるということ。

そう思えば「病気だから」と行動範囲を狭めることはなく、何にでもチャレンジするべきだと、まだ頑張れる!と力が湧いてきました。(←懲りてない)

 

 

 

 

数日後、回診に来たO先生が言いました。

 

 

「最近、絵葉書が届くんだ」

「何かなと思ったら、君が各地で診てもらった先生たちからだったよ」と。

 

 

その絵葉書には私への治療の報告が書かれていたそうです。

 

 

 

 

「絵葉書とはおしゃれですね」

 

 

 

 

そう私が言うと、O先生は少し嬉しそうに頷きました。

 

 

 

 

 

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明日でO先生の診察は最後です。

感謝を伝えることができるかしら。

何て言えばいいのかしら。

 

 

先生、ありがとうございました。

 

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