夫との出逢い その2

 
 

 神戸の北野坂に象ビルはあります。
 
 
 
 

ビルの正面に2頭の象のオブジェが飾られているので、みんなそのビルのことを象ビルと呼んでいました。その最上階に「サントノーレ」はありました。
「サントノーレ」は神戸を代表するライブスポットで、ピアニストの安藤義則さん率いるハウスバンドの演奏を楽しみに、神戸の名だたる人だけでなく、神戸を訪れた全国の著名人が集まるお店でした。ちなみに「サントノーレ」を名づけたのは小説家の遠藤周作さんだそうです。
夫はそのハウスバンドのベーシストでした。「サントノーレ」を拠点に、やしきたかじんさんをはじめ、活躍する歌手の方々のツアーで演奏をしていました。
 
 
 

1990年、そのサントノーレの20周年の催しが大々的に開催されました。バブルまっただ中の、それはそれは豪勢な催しです。新神戸オリエンタル劇場で行われたハウスバンドのコンサートは、ブラスセクションやキーボード、パーカッション、ギターがずらりと揃い、まるでフルバンドのようでした。このコンサートのプロデュースをしたのも夫でした。

そして、そのコンサートに私が所属する「フルートアンサンブルエリオ」を統括している先生が招かれていたのです。そして、そこで演奏された「FAR EAST」という曲(安藤義則さん作曲)を聞いて感激し、エリオのために作曲を依頼したのでした。
 
 



その曲が「ESPERANZA」。
夢と希望という意味を持つこのタイトルは、夫が名づけたそうです。

 

この曲ができた頃、私は入院中でした。
楽譜だけあっても、なかなかイメージが湧きません。どんな曲なんだろう・・と思いながら、練習会場の「サントノーレ」へ向かいました。


エリオのメンバーから「今回のバックバンドの人たちは凄い人たち」という話を聞いていました。そして「ベースの人はスタジオミュージシャンで、たかじんさんのバンドリーダーなんですって」と聞きました。
自分のまわりにそんな人はいないので、どのくらい凄いのかもわかりません。
人見知りもするし、点滴は巻き付いているし、調子もいまいちだし・・・いろいろなことで余裕がなかったので、その時は「ふーん」というくらいにしか聞いていませんでした。



象ビルの6階でエレベーターが開くと、すぐにお店でした。
ライブスポットなんて初めてです。
思ったよりずっと広くて、そこには知らない人がいっぱいいました。
その中のひとりが夫でした。

 

しばらくして練習が始まりました。
音を出してみると、その「ESPERANZA」という曲は想像をはるかに超えた華やかでかっこいい曲でした。

今でもよく覚えています。
ピアニストの安藤さん、ドラマーの高岡さん、そしてベーシストの夫。
その3人が創り出す音の世界は、失礼な言い方かもしれませんが『本物』でした。凄さが伝わるそんな音です。そして、ずっと聞いていたい世界でした。
そこにフルートが入っていきます。自分がその音に参加できることが嬉しくてたまらなくなりました。

 
 


そして、休憩のときに夫が話しかけてくれたのです。


 
 


「入院してるんやって?」


 
 
 

屈託のない笑顔で、興味深そうにいろいろ聞いてきます。
「絶食って?」
「ひと月も食べてないの?」
「今日も食べてないの?」
「それで大丈夫なの?」
「しんどくないの?」
「演奏して倒れない?」
「え?ホントに大丈夫?」
 


こんなことを何度も聞いてもらったことを覚えています。
始終笑顔の人だなあというのが最初の印象でした。


 

そして、その日の練習は終わり、私は病院へ戻りました。
練習時の録音をもらい、ベッドの上で楽譜を見ながら音をイメージしていました。病院では音は出せなかったので、それが精一杯です。あと一度だけ練習があったように思います。真夏のことなので、主治医がとても心配していました。 実は、主治医が出演を許可をしれくれたのは、本番の会場が病院から一駅、歩いてでも行ける距離だったからです。何があっても戻ってこれるだろうと思ってくれていたのでしょうね。
 
 


本番の日は朝から点滴を止めてもらいました。
ゆっくり準備をしていると主治医がやってきて「がんばりなさい」と言ってくれました。「喉がかわいたらポカリスエットくらいなら飲んでもいいよ」とも言ってくれました。
 


そして本番です。
「ESPERANZA」の初演です。エリオの5人のメンバーは、その日のためにあつらえてもらった超ミニの衣装を来て、いつもよりずっと華やかになりました。クラシックの世界ではありえない姿をみんなが見にきます。
ちょっと恥ずかしいような嬉しいような、そんな気持ちです。

 

煌めくステージでした。
幸せな時間は一瞬で終わりました。
今でも、その瞬間の映像がまぶたに浮かびます。




まるでシンデレラのようですね。
魔法のかかった時間は短いのです。

本番が終わってすぐ、私は病院へ戻りました。
そして意識を失ったのです。
 
 



IVH感染でした。
夏の暑い日に半日近く点滴を止めたことで、どこからか感染したようです。自分の様子がおかしいと思い、熱を測ったら40℃を超えていました。そこまでは今でも覚えています。その後、どのくらい意識を失っていたのかわかりません。目覚めた時には、家族に見守られていました。




「死ぬかもしれないと言われたのよ」


目覚めた私に母がそう言いました。
この頃から、何もかも思うようにならなくなっていきました。
この数年後、私は夢も希望も生きる意味も失くしました。


でも不思議です。
運命の出逢いって本当にあるんですね。
33歳。
夫と再会して、私の運命は再び動き出しました。



つづきは「夫との出逢い その3」で。
運命の再会のお話です。


・・・・・

奇跡のステージまでの道のり。
今日は今までお世話になっていた方々にメールでご連絡。ちょっとご無理を言える方たちばかりにいっぱいご無理をお願いしました。そして今日も応援のお返事をいっぱいいただきました。本当に嬉しいです。ありがとうございます。

そうそう、応援してくれているヤマダさんが、ツィッターで配信を開始してくれました。皆さん、フォローと応援リツィートをお願いしますヽ(^。^)ノ
https://twitter.com/Esperanza_okuda

では、8月2日。
ハニーの日。
13時半に芦屋ルナホールでお会いしましょう。
あ、開演は14時ですよ。
暑い暑い真夏の昼間です。
早めにいらしていただいて、開演までに涼しくなっておいてくださいね。

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