夫との出逢い その4


 昔、街角の占いで言われたことがあります。

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どんなに良い運気であっても、家に閉じこもっていては何も起こらない。外に出て初めて出逢いがある。

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この言葉は腑に落ちました。
それなのに、私は長い間、人を遠ざけてしまいました。
そして、遠ざけている間、何一つ幸せを感じることはできませんでした。


あのライブに行った日。
一歩踏み出したその日。
私の運命は再び動き出したのです。


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夫との再会は「あんなに心配してくれたのに、覚えていなかった」ということで、あまり嬉しい思い出ではありません。本当に一曲聞いたら帰ろうと思っていました。ライブが始まるまでの数分の長いこと。早く始まったらいいのに・・・と居心地悪くその時を待っていました。
 
 
 
 
 

定刻になってメンバーが定位置についていき、夫がマイクで話しはじめます。グレートブルーで演奏するまでの経緯や、安藤さんとの関係や、メンバー紹介。長い長い自己紹介が終わってやっと演奏が始まりました。
1曲目は『SUN DOWN』という安藤さんが作られた曲でした。


 




衝撃でした。

衝撃としかいいようのない音でした。
それまで聞いたことのない音でした。イントロはベースとドラムだけ。スラップというベースの奏法があるそうですが、弦を親指で叩く音とドラムの音が体中に響きます。


 
 


すごいすごいすごいっ!
どんどん音に惹きこまれていきます。
ものすごいことが目の前で起こっています。すごいすごいすごいっ!と思っているうちに、その曲は終わってしまいました。そして、その余韻を感じる間もなく、夫がおしゃべり(MC)を始めました。それが・・・


 
 
 


ダジャレ。
ダジャレ。
おやじギャグ。
おやじギャグ。


 


ここで書くのは差し控えたいほどのダジャレと親父ギャグが目白押しで出てくるのです。私の頭の中は混乱してきました。あんな演奏も音も…ダジャレも初めてです。






いったいこの人は何なんだろう??

不思議に思っているうちに、次の曲が始まります。
音の厚みというのでしょうか。それにすっかりハマってしまって、あっという間にライブは最後の曲になりました。

私がクラシックで学んできたことを、なんて楽しそうに演奏できるんだろう・・・そう思っているとアンコールが始まりました。
 
 
 

その曲はSPAIN。私が大学時代、憧れた曲です。いつかは自分も演奏したい・・そう思っていた曲が目の前で繰り広げられます。華麗な演奏は夢の世界でした。
一曲で帰るつもりが、しっかり最後まで聞いてしまいました。そして初めての感覚に陥ちました。 来たときよりもエネルギーを感じるのです。
(サムシングスペシャルライブは別名「充電ライブ」)
帰宅してからもずっと、頭の中ではSPAINがぐるぐると流れています。次の日も次の日も、あの音が忘れられません。

 
 
 
 
 

そして二か月後。
高岡さんが「またライブするよ」と連絡をくれました。
なんとしても行かなくては・・。用事を済ませて時間ぎりぎりにお店に行くと、満席で入れませんとのこと。その次のライブでも、予約を入れてないから入れないと・・・。

 
 


こうなると、どうしても聞きたくなってくるものです。
予約をお店に入れようと思うと「奥田さんに直接電話して」と言われます。そんな勇気はありません。高岡さんに予約をお願いして、次のライブからは毎回行くようになりました。

毎回顔を出すようになっても、夫は挨拶すらしてくれません。「そんなに印象がないのかしら」と気にするくらいです。そのうちメンバーの人たちが顔を覚えてくれて、時折話しかけてくれます。

でも、誰とも話せなくてもいいんです。ただ、あのライブを、あの音を聴きたい。そして元気になりたい。そんな思いでした。

そうやってライブに通ううちに、奇跡が起こりはじめていたのです。



『私も、あんな演奏してみたい』

 何年も封印していた気持ちが、動きはじめました。もちろん、実現できるなんて思っていません。でも、演奏したい・・・そんな気持ちが募っていきました。

そのうち、高岡さん以外のメンバーの人たちからもライブの案内をもらえるようになりました。キーボードの加東さんは毎回電話をしてきてくれます。行けないときもありましたが、ほぼ皆勤です。そして、運命の日がやってきます。
 
 
 
 
「次回のライブは2月24日です」

2月24日は私の誕生日です。
しかし、すでに予定が入っていました。ライブに行くことは難しそうです。「残念だけど伺えない」と言う私に(その時に限って)加東さんは何度も連絡をくれました。「お誕生日のプレゼントを用意しますから」とまで言ってくれました。プレゼントに惹かれたわけではないですが、ひょっとするとハッピーバースデーを歌ってもらえるかもしれない…(そういうシーンを見かけたことがあったのです)…そんなことがあるなら行きたいな…と、予定を変更してライブに行くことにしました。

いつもの通り、最高のライブです。
加東さんは、プレゼントにお菓子を用意してくれていました。申し訳ないと思いましたが、せっかくなので遠慮なくいただいて、ひょっとしたら歌ってもらえるかもしれないと、ハッピーバースデーを期待していました。







しかし。






定番のアンコール「SPAIN」でライブは終わってしまいました。
残念さはため息に変わりました。今日はたんじょう日なのに…と思っていると、目の前に夫がやってきました。


「いつもいつもすみません」
「名刺とか、連絡先を教えてもらえますか?」

2年近く通っているのに、突然どうしたのかしら?
そう思うも、よくわからないまま連絡先を渡しました。
連絡をくれるのかしら?と思うけれど、それまで期待してその通りになったことはありません。今度もそうだろうと思い、家に帰りました。

そして翌日。
長い長い自己紹介のメールが届いたのです。


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夫との出逢いのお話はこれでおしまいです。
夫との再会は私を幸せへと導いていきました。私が再びステージに立った(私にとって)奇跡の日は、この数か月後のことでした。


結婚してから「どうしてあの日、連絡先を聞いてくれたの?」と夫に聞きました。すると、その日のリハーサルで加東さんが「今日が誕生日の人がくる」と話してくれていたそうです。夫たちの間で私は「エリオさん」と呼ばれていたようで、その「エリオさんの誕生日に何かプレゼントは準備したのか」と夫は加東さんに尋ねたそうです。そして、加東さんの準備したお菓子というのが、コンビニで売っている駄菓子セットだったことに驚いた夫は、エリオさんのことがとっても不憫に思ったそうです。「それで声をかけたんだ」と話してくれました。

「不憫に思うなら、ハッピーバースデーを歌ってくれたらよかったのに」と言うと、忘れていたと…。その後、サムシングスペシャルのライブは奇数月にしか開催されず、二度と私の誕生日に開かれることはありませんでした。

「3月でもいいから、一度でいいからハッピーバースデーを歌ってほしい」というと、身内はあかん!と言われます。


結婚して13年経った今でもまだ歌ってほしいな~って思います。
願えば叶う。いつかきっと歌ってもらえますよね。ハッピーバースデー。

 
 

※サムシングスペシャルライブは奇数月の最終土曜日に大阪堂島のミスターケリーズで開催されています。今もアンコールは「SPAIN」です。皆さん、どうぞこちらもいらしてくださいね。
 
 

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これだけ引っ張って、もひとつ面白い終わり方をできませんでした。まだまだだなあ。もっと上手にオチを書きたいなあ。そんなことを思うようになりました。次からは私の社会復帰を書く予定です。引き続き、応援してくださいね。


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