奇跡のステージへの道のり。

8月2日(土)14時開演。
芦屋ルナホールにて私たちのリサイタルを開催しました。
その時に書いた「奇跡のステージへの道のり」ブログをここにまとめました。長いですがお付き合いくださいね。

1.ルナホールを借りちゃった


 エスペランサリサイタルをしようと思ったのは、昨年の秋ごろのこと。夫の勝彦さんのミュージシャン生活40周年記念のライブをしようと思ったことがきっかけでした。勝彦さんを支えてくれた人たちを招いて開催しようと考えて、ライブ会場を物色(というのか?)していたら、どこもかしこもちょっと手狭なんです。もうちょっと広い方がいいなあと思うけど、ピンとくる会場が見つからず。7年...前にリサイタルをした西宮の芸術文化センターは今や人気がありすぎて抽選じゃないと取れないというし・・。
 
 
 

どこがいいかな?
 
 
とネットで探したらすぐに目に留まりました。
思い出の『ルナホール』。
 
勝彦さんも大好きなホールです。
空き状況を確認すると、私たちの結婚記念日(ハニーの日)が空いているとのこと。これは、もう決まりですよね。
 
 
 

定員700名。
 
 
 
 

大きすぎじゃない?
と思うけど、借りちゃいました。
 
 
 
 

でも、どうしよう・・・
自分たちだけで、こんなホールコンサートできないに決まってる・・。
 
 
 

そんなことを悩んでいたら・・
奇跡のはじまりは突然にやってきました。

 
勝彦さんの昔からの先輩(ステージのプロ)の向さんから「僕に任せなさい」との嬉しいメッセージが届いたんですっ\(^o^)/
芦屋市民の向さんが、四方八方手を尽くしてくれたおかげで、私たちのリサイタルの主催を業平ライオンズクラブさんにお願いすることができたんです。大きな一歩を踏み出せました!ありがとうございます!
 
 

 

2.13年前の奇跡のステージ

 
 
2001年の3月。
どうやって生きていけば良いのかを必死で探していた頃、そして幸せを願うことなんてまだまだできなかった頃のことです。...
 
 
 
 

『あなた、本当はフルートが吹きたいんじゃないの?』

仕事先で出逢った方から唐突に言われました。
夢をあきらめて、フルートに触れることすらなくなって、7年の月日が経っていました。誰もが私に「がんばれ」と言わなくなっている中、この言葉は心に突き刺さりました。
 
 「この人はいったい何を言い出したのだろう?」 そういう思いでいっぱいでした。フルートが吹きたいかどうかを聞かれ、「もうフルートは吹けません」と答えれば良いのに『私の立てるステージはないんです』と答えた私はきっと夢をあきらめきれてなかったのでしょうね。どこかでチャンスがあれば・・・そう願っていたのかもしれません。

 私の立てるステージがないと知ったその方は、自分がステージを用意してあげると言って立ち去りました。そして翌日、『2週間後のルナホールでの催しに、あなたの時間を20分もらってきた』という連絡が入ったのです。
 
 
 
7年間のブランクがある私に与えられた時間は、たったの2週間。
ぜったいに無理だと思いました。
 
 
 
『断ろう』
何度も何度も電話をかけようとしました。

でも、もうひとりの自分が言います。
『今断ったら、もう2度とチャンスはやってこない』
何度も何度も受話器を置きました。

そして2週間はあっという間に経ってしまいました。
 
 
 

2001年4月。
私はルナホールの舞台袖で震えています。
今すぐ帰りたい。
今すぐ逃げ出したい、そんな怖さと苦しさでした。
 

司会者さんの声が聞こえます。
『難病を乗り越えて7年ぶりのステージです、皆さん拍手を・・』
そう聞こえてきました。
その声の方向には光り輝くステージが見えていました。
 
 

震えながらステージに向かいます。
不思議なことに、一歩進むたびに震えが治まります。 ステージ真ん中で正面を向くと、スポットライトがあたりました。眩しいくらいの光に包まれたその時、私の中に込みあげてくる気持ちがありました。
 
 

『やっとここまで戻ってこれた』
 

演奏は失敗ばかり。トークはしどろもどろ。
でも、私にとっての奇跡のステージ。
あの日から私の運命は「幸せ」へと向かい始めました。
 
 

3.出逢いが奇跡を生む。



今、私に起こっていることは奇跡だと思う。
 

「毎日」が奇跡。
生きている今「この瞬間」が奇跡。
夢と希望に満ちた「未来」を思い描けることも奇跡。


そして、この奇跡を私にもたらしてくれたのは今まで出逢ってきた人たち。
 
 



昨日の投稿で書いた私を光り輝くステージに立たせてくれた方と、数年ぶりに再会してゆっくりお話しをすることができました。そんな中、どうして私にそんな機会を持たせてくれたのかを尋ねると
『あなた、必死で生きる道を探していたじゃない。あなたを見ていて「どうすればこの人は輝くのかしら?」と思ったのよ』と、その時のことを話してくれました。
 
 
 

当時の私は、それはそれは怖い顔をしていたそうです。
体調も悪く、歩くこともままならないほどの腹痛を抱えていました。それでも「生きていかなくては」と、社会復帰を強く願い、一度立ち上がったからには再び深い深い闇の世界に落ちていくことは絶対に避けたいことだったのです。
 
 

そんな私の気持ちを救い上げてくれた、私にとっての奇跡の出逢いは、私を幸せへと導いてくれました。思えば、たくさんの方に「奇跡」を起こしてもらっています。
 
 
長い間、私は「病気にならなければ、どれだけ幸せになれただろう」と思っていました。でも今は「病気にならなければ、こんなに幸せになれたかな」と感じています。
 
 
最初の奇跡のステージから13年の月日が経ちました。
今、とても幸せです。
全ての出逢いに、心からの感謝を伝えたい。
 
 
『いつも、ありがとう』
 
 
 
 
 

 

4.夫との出逢い(その1)

 
 

講演会に行くと、たまに「質疑応答」という時間があります。難しいことを聞かれたらどうしようとドキドキしているのですが、10回に8回は「夫と私の馴れ初め」を尋ねられます(笑)。
 
 
 
 
 
 
 
 

話せば長い、ふたりの馴れ初め。
最初の出逢いは私が24~25歳くらいのこと。

21歳の時にクローン病を発病してからは、入退院の繰り返しでした。「がんばりたい」と思ってもなかなかうまくいかない・・それでも「病気になんか負けるもんか」と必死で頑張っていた頃です。
 
 
当時の私は、予定されていたフランス留学にドクターストップがかかり、海外がだめなら日本で頑張るしかないと、細い細いつてをたどって演奏の機会をもらっていました。そしてバブルがはじけるちょっと前、女性フルート奏者のプロのアンサンブルを結成する(当時日本初)とのことで、私にもお声がかかりました。願ってもないチャンスです。大先輩たちとともに活躍する機会がやってきたのです。

体調は悪いけれど、楽しくてたまらない。熱が出ても、腹痛があっても、ぜったいにステージに穴はあけない!と心に決めての参加でした。入退院もしていたけれど、メンバー皆さんに守られて頑張ることができました。
それは「
フルートアンサンブルエリオ」というグループで、みんなが金のフルートを持ち、ピッコロやアルトフルート、バスフルートまで金色をした、ゴールデンバンドでした。
ステージではポップスからクラシック、ジャズまで演奏します。衣装はボディコンのミニスカートでしたし、私たちメンバーの後ろでは、ジャズやポップスの世界の大御所ミュージシャンのピアノトリオがサポートしてくれていました。なにもかも、それまでのクラシックのフルートのイメージを覆すものでした。活躍の場も多く、全国各地でコンサートをさせていただきました。


そんなエリオが「フルートコンベンション」という全国からフルート奏者が集まってくる催しのオープニングコンサートに抜擢されたのです。こんな大チャンスはありません。体調の悪さなんかどこかへ飛んでいってしまいました。
 
 
 

しかし、本番のひと月前、私は入院してしまったのです。
 
絶食2か月と言われました。
本番のステージに立てないかもしれない。
せっかくの大チャンスなのに。
 

24時間持続の点滴に繋がれている入院生活です。
この点滴がある限り、どうしようもありません。
途中、練習もあるし、リハーサルもあります。
どうしようと悩んでも、どうしようもありません。
私の代わりなんて、たくさんいるのですから。
 
 
と、思っていたら、エリオを統括している先生が
「なんとかコンサートに出れないか?」と言いにきてくれました。こんな嬉しいことはありません。なんとかならないか、なんとかならないか・・そう思っているうちに、主治医の先生に「なんとかならない?」と聞いていました。


最初は難しい顔をしていた主治医の先生も、毎日毎日「コンサートに出たい」と言い続ける私に最後は根負けです。
  

『一時的に点滴を止めよう』

今でこそ、あたりまえのように点滴を止めて外出したりしていますが、当時はそんなにポピュラーではありませんでした。ヘパリンというお薬を流しいれ、血液が固まらないように、そして逆流しないようにして、点滴の長いループをからだにぐるぐると巻きつけてテープで固定し、雑菌が入らないようにガーゼで要所要所を包みました。

そして、主治医の先生からは「外では何も食べないように。できれば何も飲まないように。どうしてもの時は水を少し舐めるくらい。そしてできるだけ早く病院に戻ってきてくれ」と言われました。
 
 
 

なかなか大変です。
ひと月近く絶食しているのですから、ふわふわふわふわします。
それでも外に出れるのが嬉しくて。
練習に行けるのが嬉しくて。

母親にお気に入りのワンピースを持ってきてもらい、ちゃんとお化粧して、病院から練習会場の「サントノーレ」というお店に向かいました。
 
 
 

そこで、私たちは出逢いました。
 
長くなったので・・「夫との出逢いその2」につづきます。