不思議なお導き

 

 

先週の土曜日、高校の先輩ご夫妻に誘われて近くのお寺に写経に行ってきました。もともと落ち着きのない私にとって、とても良い時間になるのではと思ったのもありますが、一番の目的は法話を拝聴することでした。

 

 

 

人前で話す機会を戴いている私には、たいへん勉強になります。それがいつの頃からか自分自身が救われる言葉を聴きたい気持ちが強くなっています。

(ご気分を害される方がいらっしゃるかと思いますが、今はひとつの宗教にこだわることなく″伝わる言葉”に興味を持っています)

 

 

この日は観音経についてのお話しでした。

まったくの知識不足の私は、かなり一生懸命聞かないと言葉の意味を理解できないまま進んでいってしまいます。もう少し勉強してから来た方が良いかしらと思っているときに、ご住職が驚く話を始められました。

(内容をうまく伝えられませんので、ネットで検索してみました。)

 

 

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観音経は、全二十八品(品は章の意味)から成る『法華経』の中の第二十五品の別称で、日本では般若心経の次にポピュラーなお経です。 内容的にはお釈迦様が、観音菩薩の功徳について語っているもので、観音菩薩の名を称えたり、観音菩薩の力を観想したりすると、この世の様々な災厄から救済される功徳があると説いています。

観音経の中には「世尊妙相具~」で始まる偈文が含まれており、この偈文(詩の部分)を読むと全文を読むのと同じ功徳があるとされているので、観音経偈として、ここの部分と最後の部分だけを読むことが多いです。

比叡山延暦寺の座主であった故山田恵諦師は、五十歳のとき第二次世界大戦中に沖縄に祈祷僧として派遣されましたが、その帰路、産業挺身隊として本土へ働きにゆく沖縄の中学生の男女千五百人を輸送する船団に同乗して帰ることになりました。戦時中の航路は敵の攻撃を受ける可能性が高く、非常に危険なものでした。ふと観音経に「たとえひとりでも私を念ずるものがあれば、その船は沈めない」という意味の功徳があることが思い浮かび、中学生を死なせないため、乗船するまでに二十五日間、日に七十五巻の観音経を唱え、乗船してからもひたすら観音経の読経を繰り返し、無事に本土に帰還出来たとのことです(「真言陀羅尼とお経 ご利益・功徳辞典」大森義成著より)

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先日、サムハラサムハラの記事を投稿したときも「運命のお導き」と書きましたが、今回も同じように不思議なお導きを感じました。

昨年の春、琉球新報の記事に載せていただいた(写真)のですが、私の父は沖縄で生まれ育ち、昭和19年、疎開船に乗って魚雷の飛び交う海を命からがら逃げ延びることができたそうです。この話は父から聞くことはなく、父の死後、母から聞かされました。

そして一昨年、沖縄にご縁ができ、祖父母一家が商売をしていた場所もわかり、少しずつ情報を集める中、琉球新報の記者の方が祖父のことを調べてくれ、今まで知らなかった自分のルーツを知ることができました。それどころか、この記事が掲載されたことで祖父の店で働いていた方のご家族や、祖父一家と親交があった方や、父の同級生の方からご連絡をいただけたのです。

 

 

話しが少し逸れましたが、父から聞くことのできなかった疎開船の話を(船は違うとしても)まさか法話で聞くことができるとは思っていませんでした。

そして4月6日、加古川の鶴林寺真光院で私たちのコンサートをします。真光院ご住職は天台宗です。このお話しをもう少し聞くことができるかもしれません。本当に不思議なお導きです。

 

 

 

そう思っていくと、写経にお誘いくださった先輩ご夫妻との出会いも運命だったのかもしれません。出逢いに感謝。高木先輩、ありがとうございます。

 

 

 

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コメント: 5
  • #1

    いいの (土曜日, 15 3月 2014 01:28)

    不思議な「お導き」、それを私もよく感じます。
    おそらくは、いろいろな物事を自分の身近なことと感じているからだと思います。
    自分とは関係ないと思うとすぐ忘れてしまいますが、身近なことと捉えていれば心に残ります。それがいろいろな機会をきっかけに結びつくことを「お導き」と感じるのでしょう。
    もちろん機会の数も大切ですね。奥村さんが人との出会いを大切にされているからこそ、「お導き」の機会も多いのでしょうね!


    山田諦師の話を読んで、浄土真宗における阿弥陀如来の本願を思い出しました。
    それは、「どんな人も 我を信じよ 必ず 絶対の幸福に救う。もし救うことができなければ 命を捨てる」という阿弥陀の願いのことです。命を捨てることなく悟りを開いたのだから、阿弥陀の願いは叶った、というのが親鸞の教えです。
    山田諦師も親鸞も、仏の言葉から人々を救う智恵を導き出しています。ね、似てるでしょう!

    ちなみに私も写経が好きです。キリスト教徒なんですけどね。

  • #2

    高木朋子 (土曜日, 15 3月 2014 12:48)

    40数年前、高校受験の時に我が母校を何気なく選び、高校生活を楽しく送り、そこで主人と出会い、今の私があります。そして同じ名前のご主人を持つ良子さんと結びつけてくれたのもあの時、何気なく選んだ人生の岐路のお陰ですね。運命とは不思議なものですが出会えて良かった。本当に出会いに感謝しております。

  • #3

    いいの (水曜日, 19 3月 2014 20:55)

    先のコメントの後段のところが説明不足だったので、ちょっと補足します。

    「命を捨てることなく悟りを開いたのだから、『どんな人も必ず絶対の幸福に救う』という阿弥陀の願いは叶った」、というのが親鸞の教えです。

    あと「奥村さん」→「奥田さん」の間違いです。申し訳ない...
    では

  • #4

    esperanza-okuda (日曜日, 30 3月 2014 22:00)

    いいのさん


    『必ず絶対の幸福に救う』

    まだまだ不勉強の私には簡単に理解できることではありませんが、これから少しずつ運命を感じながら勉強していきたいと思います。


  • #5

    esperanza-okuda (日曜日, 30 3月 2014 22:01)

    高木先輩


    出逢いは運命。
    そう思うことばかりです。
    若い頃にはわからなかったことですが、この年になってきて深く深く感じます。